※ミッドナイト番外
「へえ、ま〜くんと付き合うことになったんだ?」
「はい。おかげさまで。」
ソファーの肘掛に寄りかかりながら頬杖をつき私をまじまじと眺めた後、朔間先輩は深く息を吐いた。私は何故先輩がそんな反応をしたのか分からず次の言葉を待つことにした。幼なじみを奪った恨みの一つでも言われるのだろうか、と若干身構える。
「あのさあ、こういう報告ってなんかちょっとこう、照れたりするものじゃないの?」
「…?」
なるほど、と私は考えた。しかし事実を話しただけでかしこまるようなことでもないような気がする。ぽーん、と手元の鍵盤を叩くとなんだか間抜けな音がした。
「すみません、こういうことを誰かに報告するのは初めてなのでよくわからなくて…。照れた方が正しかったですか?」
「いや、意識して照れることもないでしょ。ま、名前らしくて良いんじゃないの。ちなみにま〜くんは非常にてれてれ、でれでれしてたよ。」
先輩の言葉に私は思わず顔をしかめた。知ってたんじゃない。
「知ってたなら最初からそう言ってくださいよ。」
「いいじゃんいいじゃん。名前の反応みたかったんだよねえ。うっすい顔しながらうっすい報告してくれてありがとうね。」
「喧嘩売ってます?」
売ってないよーとゴロリとソファーに寝そべった先輩は「まあおめでとう。」と小さな声で祝福?してくれた。
お付き合いを始めたからと言って特に何かが変わるわけではなかった。ただ付き合う前よりなんでもないことでも連絡頻度は増えたかなあとは感じるけど…。それでも毎日ではない。衣更くんは忙しい人なのあまり時間を取らせたくないのが私の本音であった。
「で?どこまで進んだの?」
「どこまで?」
私は考える。どこまで。そう聞かれるとまだどこにも進んでないと思うし早急に進みたいわけでもない。「連絡はとってますよ。でも毎日顔を合わせている先輩の方が衣更くんのこと知ってると思いますけど。」と返せば見たことないぐらいげんなりした顔を向けられた。
「…なんかさ、もう少し歩み寄れない?ま〜くんに対してもっと何か思うことないわけ?毎日会いたいとかさ。」
「私のわがままで衣更くんを困らせたくないし、わざわざ思ってる事を声に出さなくても良いと思ってます。」
「はい、ダメ彼女〜。」
「ダメ彼女。」
朔間先輩はじとと私を見てから自身の両頬に手を添えて可愛い顔をした。
「ま〜くんがおんぶしてくれないなら帰らな〜い。」
「…。」
「はい、今どう思った?」
戸惑いながらなんとか言葉を絞り出す。
「あ、ええと。自分で帰ればいいのに…?」
先輩はにこりと笑って私の頬を思いっきり外側に引っ張った。驚いて声も出ない私を満足げに見て先輩は離れる。
「そう、名前はね。ま〜くんはここで “仕方ねえなあ〜♪“ ってなるんだよ。我がままを言えば言うほど喜んでお世話焼くような人間なんだし、あんまり何も言わないのも飽きられる原因だからね。」
飽きられる。私はがん!と衝撃を感じてしまう。私は何の面白味もない人間だ。衣更くんが受け入れてくれているのが奇跡だと思っている。衣更くんに少しでも見劣りしないように少しでも迷惑かけないように努力をしないといけないのは分かってはいるのだ。
いや。しかし、我がままとは具体的に何を言えばいいのか。朔間先輩のようにおんぶして、とは難しいだろう。おんぶは朔間先輩だから許されるのであって…。
「……。」
飽きられる。色々考えていたら急に私は血の気がひくような感覚がした。恋愛一年生なんてよく聞くけども私は一年生にもなれていない。差し詰め恋愛ゼロ歳児と言ったところだろう。そもそも初めての彼氏がアイドルという時点で普通ではないのだ。そして私の周りに相談できる人は朔間先輩しかいない。
モヤモヤを抱えたまま家に帰りただいまもそこそこに部屋に入る。
「( やはり朔間先輩のように甘えるのも私にはハードルが高い。)」
飽きられないようにとはどうしたらいいのか。私はスマホを取り出し検索をかけてみる。彼氏、飽きられない方法…。これほど集中したのはいつぶりだろうか。愛され彼女になる方法…。れ、連絡は程ほどに…。なあんだ!連絡を取り過ぎるのもダメなんじゃないの!朔間先輩は意地悪でいったのかしら。はあ、と一安心しながら何となく衣更くんとのトーク履歴を開く。そして再度青ざめる。最後のやりとりは何と一週間前なのである。これはいくら何でも程ほど過ぎやしないだろうか。しかも衣更くんで終わっている。冷や汗が止まらない。
どこかに食事に行かないかとお誘いを頂いているのを私は返事せず終わっているのだ。
「……。」
衣更くんは私と食事に行きたがる。私も衣更くんが連れて行ってくれる場所は好きで彼は絶対に楽しませてくれる。でもいつも私は受け身で衣更くんの与えてくれるものを受け取るばかりだ。私は彼に何を返しているのだろうか。
飽きられても仕方がない。
そんな言葉が頭をよぎった。帰ってきたばかりではあったが再度家を飛び出る。
「名前!もう夕飯よ?どこいくの?」
「すぐ戻る!」
思わず走ってしまう。朔間先輩、朔間先輩、どうしよう。私、飽きられてるかもしれない。
はあ、はあ、と息を切らして朔間先輩の家のインターホンを鳴らそうとして声をかけられた。
「名前?」
え。と顔を上げるとちょうど朔間先輩の家から出てきた衣更くんが私を見ている。相変わらず息切れしている私はボサボサの髪を申し訳程度に直す。
「い、衣更くん、きていたのね。」
お久しぶり、元気そうでよかった。連絡止めていてごめんなさい。この間衣更くんが出ていた番組を見たわ。衣更くんを見てしまってから話たいことが沢山溢れてきたのに何も言えなくなってしまう。
「ど、どうしたんだ…?なんか見たことない顔してるぞ〜…?凛月に用事…か?」
戸惑いながら私に近づいてくると私を宥めるようにして肩を摩った。衣更くんは優しい。
「衣更くんのことで相談があったのだけど…。」
「え!?俺?」
「…。」
「なんかよくわからないけど…。あ〜。それって俺が直接聞いちゃダメ?」
私の両手をぎゅ、と握って覗き込むようにして笑う衣更くんに思わず泣いてしまった。大変だ、私、今とてもめんどくさい。ぎょ、とした衣更くんは私を引っ張って小走りに移動して行く。数分走ったところで知らない家に入れてもらった。おそらく衣更くんのお家なのだろう。
「ごめん、とっさに連れてきちゃったけど嫌じゃなかったか…?」
「い、いえ。こちらこそ…ごめんなさい、突然泣いてしまって。」
とりあえず上がって、と促され私は靴を脱いだ。生活感のある空気に安心する。衣更くんは階段上がって左の一番手前の部屋に行ってて!と私に告げどこかへ行ってしまった。知らない家の勝手がわかるのは朔間先輩の家だけだ。恐る恐る階段を上がり指示された部屋に入る。衣更くんの部屋、とすぐわかってしまった。漫画の沢山入っている棚に、バスケットボールも部屋に置いてある。落ち着かなくてそのまま立っているとすぐに衣更くんが入ってきた。
「うわ!?なんで立ったままなんだよ〜。座っておけって。お茶でよかったか?」
「わざわざごめんなさい。」
座布団を私の前に置くと座るように促した。小さなテーブルを挟んで衣更くんが座り込んだ。
「で…?どうしたんだよ。」
実は、と朔間先輩に言われた事をそのまま話し今まで衣更くんに甘えてしまっていた事を謝った。しばらく衣更くんはキョトンとした後大笑いする。は〜、と衣更くんは目元を拭って息を吐く。
「なんだ、そんな事かよ!凛月も余計な事言うなよなあ。大丈夫だって、何もわからないまま名前とつき合ったわけじゃないからさ。名前に楽しい思いをしてほしいって言うのは俺の気持ちだし、一緒に行きたい所を考えるのも全然苦じゃないって。でも、まあ、もう少し連絡はしたいなって思ってるけどさ。」
「……衣更くんは優し過ぎると思うの。」
「そうか…?わからないけど、名前はもう少し手がかかっても良いんだけどなあ。」
これ以上…?と私が困ってるのを見て衣更くんは鼻の頭をかいた。
「ううん、名前にはさ、マイペースでいてほしいというか、難しく考えないでさ、そのままでいてほしいよ。俺はそういうところが好きだなって思ってるし、今までの名前のこと分かってるから俺のことで散々悩んでくれたんだってだけで嬉しいよ。」
衣更くんに改めて視線を合わせると照れくさそうにしている。
「……、私、私は…衣更くんがはじめての彼氏だしこんな風に自分以外の人と向き合うことがはじめてでわからないことばかりで…。どうして良いかわからないの。相談できる人も朔間先輩しかいないし…。…でも私は衣更くんが好きって本当に思ってます。手探りになるけどちゃんと彼女になりたいって考えてるので衣更くんがもし何か思うことが有れば教えてください。」
静かな時間が流れた後、衣更くんはもう一度笑った。今度は私も一緒になって笑ってしまった。「はー。よかった。」と衣更くんは言ってお茶を一気に飲んだ。
「これでも俺、結構緊張してたんだぞ!喉からっから!あまりにも会えてないから別れ話かと思った。あ〜、もう、本当よかった〜。」
「私がふられることがあっても衣更くんがふられることは絶対ないわ。」
わからないだろ、とふてくされた彼はテーブルの上に置いてあった私の手を取りそのまま人差し指をぐりぐりと触り始める。指の輪郭をなぞられるようにして触られるので何かと身構えてしまう。
「まあ、一つだけお願いがあるとしたらそろそろ名前で呼んでほしいかなって。俺はちゃっかり名前で呼んじゃってるけどさ。せっかく付き合ってるのにちょっと寂しいなってさ。どうかな。」
自分にとってはハードルの高い衣更くんのお願いに硬直してしまう。なんたって異性を下の名前で呼んだことがない。しかし私は今まで衣更くんに散々甘えてきたんだから衣更くんのこのお願いをなんとかしたい!と考える。今度は私の喉がカラカラである。
「ま…、真緒くん。」
きゅ、と私の指をいじる力が強くなる。ちら、と相手を見れば心底驚いた様子で私を見ていた。なんだかいたたまれなくなって下を向く。穴があったら入りたい。
「あ〜、聴こえなかったなあ。」
「えっ、」
にやにやと私を見ている衣更くんは意地悪いことを考えている時の朔間先輩にそっくりである。こんなところで幼なじみを出さなくたっても良いのに。
「真緒くんって意外と意地悪なのね。」
「好きな子限定でな。」
今度は私がふてくされる番だった。